人は、個別ではあるけれど、理解しあえる。
けれど、それは頭の中、もしくは、感情によっての理解であり。
完全に分り合えることは、恐らく途方もない時間と労力が必要で、多分、人生の一生をかけても。
完全はありえないのだと思う。
どんなに頭で客観的に判断しても、やはりその中には、自分の生きてきた世界の概念、そして培われた価値観、という主観は、恐らく完全には切り離せない。
少しの理解は、価値観の相違で簡単に相容れないものになる。
例え多くの理解を共有していても、それは結局、家族・友情間で培われた情によって、理解しているつもり、つまり、共感。
身近な世界で生きる分には、率直に共感を得られるだろうけど。
どんなに頭で考える力を持ったとしても、人間の生きる世界も弱肉強食。
多集団という強いものは、少人数という弱いものを呑む。
どんなに裁判官が、最終的には自分を理解してくれると思っても。
裁判官と主人公の間には、証言を媒介にした、少しの理解しかなく。
その間に、価値観の相互がない事には、信じても。
真実を勝ち取る事はできないのだと思う。
多くの集団で、「99.9%の有罪率」という概念が先行する事で、個別にもその概念が固定する。
真実を知るのは、結局、当人のみであり。
それを裁くのも、本当の真実を知る当人のみなんだろうな。
悪意を働いても働かなくても。
「99.9%の有罪率」という言葉に、社会という、人間という集団の恐ろしさを垣間見た気がしたな…。
まぁ、私は、例え完全に理解しあえなくても。
人はちゃんと分り合えるのだと、思っていたな…。
どんなに裏切られても、希望がないものね…。
と、何か支離滅裂で良くわからん感想になってしまった(´・ω・`)アレ??